91マツダB2600iキャブプラス showname ”CONTINENTALKING” スペック
フロアAT、AC、PS、Pウインドー(後付け) LE−5グレード
外装 ハウスオブカラー ラベンダーパール オールペイント
ベバスト電動サンルーフ、オリジナルアルミワンオフトノカバー (エアシリンダーで開閉式)
左側キャブプラス部スーサイド開閉式ドア風(純正にはありません)
右側ドアスーサイド ドア両方ともドアノブ&カギ穴スムージング
リアゲートサイド開き&リアゲートハンドルスムージング
ボンネットナナメスーサイド?開き? ^^
チャネリングによるエンジンがボンネットに干渉するのでボンネット多少ホントにわからない位?膨らんでます。
(上にあげてます。板金加工) 2600は純正でもいくらか2200より膨らんでます。
エンジンマウントなどでエンジンの高さも下と上のバランス見てSETしました。
フロントクロームバンパー純正品(こだわりの^^真ん中のナンバー穴スムージング&クローム)
ワイパーカウルトップルーバースムージング&ワイパークロームメッキ
ハイマウントストップランプ埋め込み&LED
フロントクリアコーナー&バンパーウインカーレンズ
テールも含むすべてLEDの球になってます。
HIDヘッドライト
フレンチアンテナ&ビレットアンテナ (右キャブプラスピラー部)
右リアテールをサイドに開閉式でそこからガソリン給油出来るようになってます。
なので給油口はスムージングです。
その右リアテールがエアシリンダーの小さいので(うちで売ってるペンシリンダーってやつです ^^)
開閉式に出来るようになってます。
チャネリング(キャビンステップミミ無し着地です。)
ワイドタイプクロームフェンダートリム(もう手に入りません)
リアクロームステップバンパー純正品(もう手に入りません)
クロームアウタードアミラー純正品
外装パーツはその他全てディーラー純正品です。
ボディー裏&ベッド裏&エンジンルーム 全て同色でペイント
ベッド内部 床オリジナルのなみなみ?全てフラット化&スムージング&オリジナルインナーフェンダー製作
足回り エアサスシステム 4独コンチオリジナルセパレートマニホールドバルブ3/8
ファイアストーンエアバッグ (前後とも)、4ガロンステンレスタンクx2、AVSビレット7スイッチ
VIAIR 380Cコンプレッサーx2 全てハイドロANフィッティングクローム使用&アルミパイプパイピング
足回りに行く道中も前後全てパイピングです。 コンチオリジナルデザインポンプです。
イントロビレットホイール ”PENTIA” 18インチをクロームメッキかけました。
オフセットもはみ出ないようにと特注で頼みました。だから深リムではありません。
タイヤ ピレリ―P7000 215−35ZR18
エアロスペースディスクブレーキ前後とも(普通はリアはドラムです。)&5H化(純正は6Hです。)
アルミポリッシュキャリパー&ドリルドローター&クロームメッキ(ローターもクロームです ^^)
アーム類 全てミミ無しスムージング&フルクロームメッキ 前後とも
リアデフホーシング ナローしました。&フルクロームメッキ
フレーム至る所スムージング&滑らかにステップノッチ&ボディー同色ペイント
リアクローム4リンクKIT&ワンオフカンチレバー式エアサスシステム
DJMショック クローム 前後とも
フェールタンク アルミガロンタンク&エレクトリックフェールポンプ
フェールライン 全てアルミパイプで引き直し
ブレーキライン 全てステンレスパイプで引き直し
ワンオフステンレスマフラー&ステンレスタイコ
その他 プロペラシャフトなど、他細かいものもクロームメッキにしてます。
エンジン ノーマルです。バラバラにして同色ペイント&O/H&ガスケットすべて新しくしました。
ミッションも同じです。
色んなパーツクロームメッキ&ポリッシュ&同色ペイント
ティーラープラグコード パープル
オリジナルラジエター&電動ファン&ワンオフファンシェラウド
エアフィルター ランマックス社製をマツダ用が出て無かったので造って付けました。
インナーフェンダーワンオフ製作&スムージング
コアポート&ファイアウォール 色んなネジ穴一部スムージング&エンジンルーム内全て同色ペイント
インテリア ドアパネル製作&スピーカードアマウントワンオフ
あの知る人ぞ知る!プロカーシート! ^^
リアシート製作
特注ダコタデジタル
パワーウインドー化 (マツダは純正でパワーウインドーの設定が無いです)
全てグレーレザーで張替え (カーペットも)
ガラスティント ブルー色
基本形状はノーマルです。
エピソード
この車はまずカキシタが1993年ごろ?アメリカで程度の良いドノーマルのマツダB2600iを手に入れてからプロジェクトで理想のマツダを造ろうとたくらんだんですが、その頃お店(コンチネンタルキングス)を始めてまだ間もないころでその頃は一人で仕事してましたのでお客さんの車いじるので手いっぱいで忙しくてとてもやれない・・・と思ったのでふとアメリカで知り合ったマスターイメージカスタムって業者に製作を依頼しました・・・が、皆さんも知ってのと―リ・・・ ^^ やっぱりアメリカなのでナカナカできませんでした・・・何回もアメリカに足運んで催促しに行きました。それから約7年が経過してようやく仮に?出来上がり、その年の(2000年)カリフォルニアトラッキンジャンボリーにエントリーすることになりました。そのSHOWに自分の車でエントリーするのが夢だったので・・・
僕はイメージが全て伝わってないままの出来上がりだったのでイマイチ納得いかなかったんですが・・・なんと!約800台?ぐらい?のエントリーが有った中で総合一位を頂きまして自分の背よりはるかに高いトロフィーを頂きました。
正直、そんなのもらえると思ってなかったのでもの凄くうれしかったのを覚えてます。
その同じ年のMINIトラッキンマガジンにも表紙で紹介されました。あとトラッキンマガジンの中でも紹介されました。
それから完成してなかった自分のイメージをさらに追及するべく、その頃日本人の知り合いでローライダーの同業者さんで日本からアメリカに移り住んでローライダー屋さんを経営してたクラップスの五十嵐氏にイメージを伝え更なる進化を遂げて日本に上陸しました。それからしばらくして日本でトラックの専門誌が出来る!って聞きました。それがアドリゾームさんのトラックトレンドです。その時、ぜひ1号目の表紙にお願いできないか?と、お声をかけて頂き表紙にして頂きました。それが2002年でした。そのあとトラックマスターズのイベントが有り、(まだかみせやでやったた頃です ^^)そのイベントでアドリゾームさんがトラックトレンド創刊記念式典をやると言う事でそのブースのデモカーで出品してもらえないか?と声かけて頂いて野外で、コンクリートの会場じゃなかったけど4輪うま掛けて全てを披露したのを覚えてます。その時 招待の飾りの車にも関わらず僕の車はブルーパニックさんより特別賞を頂きました。
それからまだまだイメージを追求したくカスタムを追加しながらイベントに出かけたりしてました。(もちろん自走ですよ! ^^) そしたらその当時のローライダーカークラブ コンチネンタルキングス(もちろん今もありますけど・・ ^^)の仲間で桜井 孝(タカシ)が ”是非俺にこの車を譲ってほしい!) と、言われました。最初は正直まだまだやりたい事がたくさん有ったので売りたくなかったんですが この車の為にローン組んで車庫まで建てると言われ・・情熱に負けて譲りました。 もちろんうちの近くで仲間だったのもあったのでこれからも維持していくと約束したので快く譲りました。
それからしばらくそのオーナーが乗ったりしてました。 それから更なるプロジェクトをしたい!と桜井から要望が有り そこで僕が出来なかったやりたいイメージを話して、ついにやろう!と決めて5年?位?前からプロジェクトが開始しました。桜井は何一つ言わず僕にすべて任してくれて黙って待っててくれました。その期待にこたえたいと 妥協せず一から全てコンチネンタルキングスでリメイクしました。コンセプトは前のイメージは全く変えず見た目は外見もインテリアもノーマルの普通に近く、あのときできなかったチャネリングも大技に入れて再度ステキな姿で大舞台に立つ!でした。。ようやくこの車が自分の、うちらのコンチネンタルキングスの手でいじれて再デビュー出来た事が何よりうれしいです。
そして、今回の記念すべき20周年トラックマスターズファイナルに全てが完成では無かったですがエントリー出来ました。 その数日前はとても間に合わないと思ったぐらいバラバラで、一時はあきらめようとしたぐらいでした。仲間やスタッフと共に・・・本当によく頑張ってもらいました。 そんな中途半端な姿でのエントリーでしたが、何と!ベストオブトラックマスターズとネガティブキャンバー賞を頂きました。 本当に正直、完成じゃなかったのでそんな素敵な賞がもらえるとは思ってませんでした。オーナー(桜井)ともそんな風に話してました。でも・・本当に嬉しかった・・本当に良かった・・・
トラックトレンド創刊1号から10年が経ちました。
なので最近の人たちにはこの車はわからないかもしれない・・・知ってる人たちにも ”何にも変わってないんじゃないか?”と思われてるかもしれない・・・ケド、こんな物語が有ったんだなぁ・・・と、少しの人達にでもこの文章で伝わればうれしいです。
アメリカで造ってた時。本当に何度も挫折しプロジェクトをやめようと思いました。僕のイメージが製作者側に伝わらず何度も衝突しました。。”最近のトラックはこうじゃない!、4ディスク、足回りクローム何か要らない!ステップバンパー&フェンダートリムはもう古い! スムージングで顔面変えろ!”などなど・・・
でも自分のイメージを貫いて本当に良かったと今は思います。
その意見に賛同してくれた桜井にも感謝してます。
桜井が居なかったら今の姿は無かったかもしれない・・・
日本にトラックの専門誌もなく、ネットや携帯もそんなに普及してなく情報もあまりない時代でした・・・情報は唯一雑誌でした。トラッキンジャンボリーの存在を知ったのも日本のキャルマガジンでした。
この車のshownameはその時、僕の思いが色々詰まってたこともあり、初心のトラック好きからカスタムの世界にのめり込んだ思いを込めて 大事な自分の会社の名前、コンチネンタルキングスから取りました。。
トラックマスターズのSHOWをずっとずっと続けて頂いてる金子社長を率いるブルーパニックの方々には凄く楽しい&感動の場をいつもいつも提供して頂いてます。本当にありがとうございます。20周年おめでとうございます。こんなステキな記念のSHOWにBEST頂いてありがとうございました。そしてこれからもがんばって続けて頂ければ嬉しいです。
最後に・・・
この車にかかわったすべての方々に感謝します。
もう少し煮詰めて来年また何処かのトラックマスターズにて完成の姿を披露することを約束致します。
それでは来年も変わらずコンチネンタルキングスを宜しくお願い致します。
長文、乱文失礼しました。。
ありがとうございました。 コンチネンタルキングス 柿下佳昭
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